私が思う本当に凄い方の姿

私自身、声が大きくて口調も横柄で、敬語も必要最低限しか使わないので、人間的な相性は合う人と合わない人がハッキリ分かれます。

 


敬語を必要最低限しか使わない理由は、本音が見えなくなるからなのですが。幸いな事に、周りには気の合う方が多いので、辛い思いはせず済んでいるのですが、中には結構ストレートに私が嫌いだと言われる方もいます。

その理由に納得することも多いのですが、納得出来ない事も稀にあります。

 


今日は、そういった人間関係の中で私が感じる凄いと感じる人と、大して凄くないなと感じる人の差を書こうと思います。

もちろん、私自身嫌いと言ってくる人は嫌いです。言い返すと泥沼なので言い返しませんが、基本的にそう言った人に親身になったり、手を貸そうとは思いません。


私の中ですごいと思う人の特徴は、相手の事を思って諭したり注意したり怒ったり出来る人です。

ここで大事なのは、相手も自分のことを思ってくれてるんだなと受け入れられる伝え方をすることです。

相手への思いやりが伝わらないと、言われた相手は言った相手を好きになることが出来ません。

相手に伝える方法ですが、言い方が上手い人よりも、私としては熱意が大事だと思います。

相手が理解するまで向き合う姿勢、何度でも伝えようとする熱意、自分が注意してる理由、そういった真心は最終的に相手に伝わります。

 


逆に大して凄くないと思う方の特徴は、伝え方に熱意がなく高圧的で、常識という言葉が良く出てきます。

ルールや法律でも無い限り、自分が気に入らないとか、その人の常識に当てはめた常識という名の私見などは、大体相手に伝わりません。伝える相手も馬鹿じゃないんです。怒られてる理由を理論的に考えたり、自身の状況や相手の表情、態度、言葉を聞いて判断します。そして、どう考えても伝える側の私見でしか無いと判断したら、正論だろうと飲み込めなくなります。

 


私自身、誰かの事をあまり悪く言わないのは、基本的に誰かを嫌いになりたくないからです。誰かを嫌いになればなるほど、その人の事を考えないとダメですし、それは時間の無駄です。それに、人を悪く言うと必ず自分も悪く言われるからです。なので、嫌いと言われた人相手には基本的に無関心を貫いてます。

 


因果応報。事象には必ず理由があり、結果は必ず自分が負うべきものです。

これは、どんな行動にも言える事で、私自身気を付けないといけないですね。

 


さて、ウチの子達が心配そうに私を見ているので、そろそろ明日に備えますか😆

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では、今日はこの辺で!